2023.05.15ブログ
現代における父親像とは・・
現代における父親像とは・・ 今回は男子からみた父親像、というテーマになっています。 児童精神科開業医をやっていますと、2歳くらいの子もみますが、上の年齢は特に制限をもうけていませんので、高齢の方を診察することもあります。 これは私だけの限定された条件のなかでの印象なので、なんの根拠もないことなのですが、父親像、というか父親からの生育歴上での影響の強さは、年代によってかなりことなっていると思います。もちろん父親像というのは、ほんとに父でなくてもよくて、祖父、叔父、他人、つまり父親ポジションにもっとも近いだれかから、もたらされるものだと思ってください。 ある程度年齢が高い人たち本人が語る、自身の生育歴の中で、可能な限り3親等内くらいの家族歴を確認します。もちろん1回の面接ではなくて、なんども面接していくなかで、少しずつ確認していきます。ジェノグラムをできるだけ完成さえることは、私の中で、精神分析的にやるやらないおいておいて、なんか大事なことになっています。おそらく自身が精神科医になったばかりのころ、スーパーバイザーの渡邉先生から、ジェノグラムの重要性を叩きこまれたせいかもしれません。DNAにきざまれています。 そんななか、お父さんってどんな人ですか? お母さんってどんな人ですか? みたいな質問をしたとして、年齢が若い子ほど、お父さんの印象って、なんとなく薄いんです。会話としてはもちろん色々とでてきますが、なんかふわっとしているんです。 権威的な父親像、「男とはこうでないければいけない」、みたいなものは、年齢高い人からはでてきやすいですが、若い子からは語られません。 家族構成も、核家族が多くなり、父権的なものが薄れているのも、その原因だとは思っています。 大人モデルとして、一番近しい存在が父親のことが多いはずです。 一緒に接している時間の長さと、生育歴に刻まれている父親像とは相関していないように思います。 大人モデル、こういう大人になりたい、みたいなイメージに食い込めていないのは、なんかさみしいですよね。しかし、大人モデルポジションの人がいない、という人も増えていますから、なんか日本にはびこる病理の一つのような気がします。 男とはこうでなければいけない、それによりそうのか、反発するのかはおいておいて、魂にきざまれている軸みたいなものがあったほうが、どの方向に人生の価値観をむけるかはおいておいて、目印があった方がポジションがとりやすいような気がします。 自分のなかに父親像、そういうものがあるか、なかったとしても自分の子どもにみせる父親像はあるか、こういうことを考えたことがあるか、ないか、が重要になってくる時があります。 加藤晃司